私は「やれば出来る」という言葉が嫌いです。
よくこの言葉を耳にしますが、ほとんどの人が良い意味で使用しているのだと思います。
しかし私にはこの言葉が、ただの言い訳であったり、努力している人にプレッシャーをかけたりするような意味にとれるからです。
私には2歳年下の妹がいますが、妹は学生時代に全く勉強をせず、好き勝手やっていました。
そんな妹に周りの人はよく、「やれば出来るのにね」と言っていましたが、私は毎回不思議に思っていました。
大事なのは、「やる」という事、つまり本人にその気があるかどうかだと思います。
「やらないと出来ない」なんて当たり前です。
行動を起こして、ある程度の結果が出て、「やれば出来る」という言葉が成立するのです。
最初から諦めてしまう人や、面倒くさがっている人に、「やれば出来る」という言葉をかけるのはおかしいと思います。
また「やれば出来る」という言葉は、努力をしている人には重荷でしかありません。
人には得意・不得意があり、すぐ結果を出せる人はほんの一握りだと思います。
私が評価したいのは、やる気になったという事です。
新しい事に挑戦するのは怖いし、勇気がいりますが、やってみようと思ったことは素晴らしいことだと思います。
何かを成し遂げた後、「やれば出来る」という言葉をかけてあげたいです。
以上の理由から、私はこの言葉が嫌いです。
人のとらえ方は様々なので、この考えが正しいとは全く思いませんが、もう一度どんな意味でその言葉を使用しているのか等、考えてみてほしいです。
人生は1度きり
人生は1度きり。
生きていれば悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、幸せなことがある。
私は今まで色々なことを経験してきた。
もちろん幸せなことはいいのだが、つらい経験はしんどい。
毎回壁にぶち当たるたびに、もう無理だ。
この壁は今迄みたいに乗り超えることができないと思ってしまう。
もう嫌だ、逃げ出したいと思う。
私はあまり人には相談しない。
なぜなら、最終的に決めるのは自分だからだ。
神様はその人だったら乗り越えることができるから試練をあたえるという言葉がある。
よく言ったものだ。
でも私はこの言葉にどれだけ助けられただろう。
この言葉のお陰でどん底から這い上がることができた。
心から感謝している。
魔法の言葉。
どんな人生でも悲しいだけ、辛いだけじゃつまらない。
もしどうしようもなく高い壁にぶち当たったときはまた、自分を無理やりにでも正面を向かせて向き合う勇気を忘れたくない。
なぜなら人生楽しまなきゃ損だからだ。