成長するという意味について

どうやら私は、長年成長するという言葉の意味を知らないで生きてきたようです。
もちろん、言葉そのものは何度も耳にしてきたけれど、実際どのようなことを指示しているかよく分かっていなかったように思います。

成長。
それは、大きく前向きに進むという事でしょうか。
前よりも勉強ができるようになったり、賢くなるという事でしょうか。
今、この言葉の意味を噛みしめています。
そして、私なりに出した答えが、成長とは「強くなる」という事です。
生きていれば、誰でもきっと色んなことがあるのだと思います。
子供時代を思い出してみても、やはり今と同じように色んなことが毎日ありました。
それでも、学校へ行くことだけは辞めなかった私。
そこでも、きっと成長していたのだと今は思えます。
あまり勉強はしませんでしたし、得意でもなかったけれど、確かに生き続けることで強くなっていったように思うのです。
なかなか頑張っていたんです、私。
同じように、誰もがただ生きていることを続けているだけで、成長しているのではないでしょうか。
思いがけない理不尽を経験したり、想像を超えた問題が立ちはだかったり。
迷って泣いて、考えて。
諦めたり許したり受けれたりしながら、成長しているのではないかとしみじみ思うのです。
こんな風に言葉にすれば、また変わった人だと思われるでしょうか。
それでも良いです。
私が自分で経験して、考えて出して答えですから。
ズッコケてばかりいたこの私が、ここまで成長できたことに感謝です。
そして、同じように日々逞しく生きている皆のことも同じように思っています。

成長した自分の1番への憧れと現実

小さなころ「1番」と言う言葉に「憧れ」と「特別感」を持っていました。
あの頃の1番って、本当にスターで自信に溢れているというイメージがありました。
だから、背番号の1番だって、出席番号の1番ですらすごいな…と感じていた私がいました。

でも、大人になったらどうでしょう。
1番の私のイメージはいつの間にかがらりと変ってしまいました。
今でも憧れやすごいなというイメージはありますが、昔ほど価値がなくなってしまったような気がします。
なんでだろうと自分でも不思議です。
ただ、自分が1番になれないとわかったのが小学生の時で、その頃私よりももっとすごい人が世の中にはたくさんいると周りの様子がすごく見えてきました。
自分への自信崩壊と周囲の実力。
そんな理想と現実がやっと目に入ってきたのが小学校低学年の時でした。
でも、その後さらに周囲の実力が、知識が広がったが故に自分の学校から、市町村、都道府県、日本全国、そして全世界に広がった時には、なぜか1番が自分の手には届かないすごく遠くにある、そして本当に存在するのか分からない人が1番という目に見えない存在になってしまいました。
だからなのかわかりませんが、本当に今の私の「1番」へのイメージは遠くの誰か有名な人になっています。
井の中の蛙だった私は成長して、その自分への自信を失ってしまったのかと思うと、井の中の蛙の方が幸せだったのかな…なんて思う自分もいます。
そして、今まさに私の子どもが井の中の蛙状態。
きっとこれから今持っている1番が変わってしまうかと思うと、しばらくお山の大将のように扱って、彼の1番をたくさん褒めてあげたいと思います。