受験シーズンがやってきて思い出すのは自分の受験のこと。
私は、姉が中学校を受験して私立の名門中学校に入学したこともあって、私も小学校4年生から塾に通っていたけれど、本人的にはあまりどうでもよくて、友達と一緒に公立の中学に行きたいと思っていました。
だから、結局一番気に入った月光を1校受けただけで、受からなければ公立の中学校でいいと言ってくれた両親。
そして、みごとに不合格となった私は、仲良しの友達と同じ公立の中学校に通うことになったのです。
自宅から歩いて5分ほどのところにある学校で、おおきな学校だったけれど、先生方はみんないい先生ばかりで楽しい思い出がいっぱいです。
私にとっては、その選択がよかったんじゃなかなぁって今も思っています。
おかげで素敵な友達もできました。
いまでも連絡を取り合っていて、ときどきあって食事をしたりします。
あの学校に行っていなかったら出会えなかった友達だから、大切にしたいと思っています。
最近、インテリ芸能人とかいろいろ言われている人も多いけれど、インテリってなんだろう。
学歴ではなくて、どれだけの知識があるかってことですよね。
そして、自分自身に自身をもって生きていくことが大切なんだと思います。
だから、私も自分の子供が受験をするかしないかということになった時は、本人の希望を尊重してあげたいと思っています。
自分の人生は自分で決めて、責任をもって生きていくことの方が大切な気がしますから。
量は質に
今までの人生で幾度か経験したのだが、「量は質に変換される」のだ。
これは経験というより「体験」と言った方がいいだろう。
自分の想像を超えた現象が自分の身体に起こるのだ。
これは本当におもしろい。
最初に書いたが、おじさんになろうとしている私は人生で何度かその経験、もとい体験がある。
1つはタイピングだ。
元々速かったタイピングのスピードが、ある時一気に急上昇した感覚に襲われたのだ。
感覚だけでなく実際のスピードが上がったことは、その後のタイピングテストによって証明された。
もう1つ挙げれば、勉強である。
寝ている時以外、お風呂もご飯もトイレの時間も勉強しながらだった。
そんな日々を1年以上に渡って続けていると、ふと頭の中で何かが繋がっていくような感覚を得たのだ。
真理がわかったような気がした。
すぐに受験勉強仲間にそのことを話した。
その友達は、私より勉強ができ、現在医者として働いている。
彼は既にその感覚を味わっていたという。
なんだろうか、これは。
落ち着いて考えるとその時に突然何かが起こったというわけではないだろうと予想される。
身体や頭の中で、毎日行っていることのレベルが、本当に少しずつ上がってくる。
毎日のレベルの上昇は気付けるくらいの幅はないが、その積み重ねがある域まで達した時にハッと自分自身の変化に気付く、そんな状況なのではないだろうか。
それに加えて、パズルを組み立てている終盤、残り少ないピースと空き場所によって一気に手が進むのと同じようなことが身体の動きや頭の中で起こっているのではないか。
全てが合致して行く感覚だった。