物心がついた時は、既に母は立派なおばちゃんになっていました。
後から聞いた話によると、早く結婚してすぐに私を出産したので、実はそれほど年を取っていたわけではないそうです。
しかしながら、着ている洋服やヘアスタイルなんかを見て判断。
いつもお婆ちゃんぽい柄や色の洋服を着ていたので、年を取っているのだと思っていたのです。
そんなイメージを持つ母でしたから、何かの拍子に出てきた独身の頃の写真を見た時は大変驚きました。
膝よりかなり上のミニスカート。
髪も長くてカールさせているではありませんか。
その時、母は実はけっこう美人な人だったことを知りました。
私は、母に何度も同じような洋服を着るようにせがみました。
またあの可愛い母を見て見たかったのです。
しかし、案の定母は笑うだけでうんとは言いませんでした。
それから今日まで、お洒落をした母を私は見たことがありません。
そんなお金の余裕も時間の余裕も、無かったのかもしれません。
それに、ファッションよりも、自分を磨くことの方が興味があるようです。
そうやって、人一倍努力して出世してきた人です。
そうやって、私たちを育ててくれました。
さすがに定年を迎えた人に、ミニスカートを穿いて下さいとは言いませんが、そろそろちょっとファッションを楽しんでみても良いのではないかと思っています。
自由にできる時間もあるでしょうし、お金にも多少は余裕があるのではないかと思います。
ここは一つ、私がステキなブラウスでもプレゼントしてみましょうか。
親孝行も兼ねて、カッコ良いところを見せてみようかと思います。
私の将来の夢を受け継いで
小さいころに自分の夢がなんだったか考えてみるとあまりはっきりとは思い出せません。
きっと定番の幼稚園の先生とか、お花屋さんとか、ケーキ屋さんとかだと話していたのではないかと思います。
実際に母に聞いてみても覚えていないと言います。
私が母となって娘に聞いてみると、幼稚園生頃にはケーキ屋さんとかお花屋さんとかやはり娘は言っていました。
いつのころからか、デザイナーになりたいと言い始めました。
きっと、小さいころから絵などが得意で工作では独創的なデザインを思いついたり、きれいな色遣いを褒められることが多かったので、自分にはそれが一番合っていると思ったのでしょう。
もちろん、自分のファッションにもこだわりはあるけれど、組み合わせにはちょっと悩んでいることが多いです。
それって、デザイナーになりたい人としてどうなのなんて思ったりもするけれど、こだわりが強すぎて、組み合わせに悩んでしまうのかもしれないなぁ何て思ったりもします。
私が若いころに将来のビジョンとして考えていた、ニューヨークのファッション系の大学に行ってニューヨークの大きなデパートやホテルのディスプレイや空間デザインをするという夢に似ていて、彼女も私が行きたかった大学にいきたいと言っています。
いつまで彼女の夢が変わらずにあるかわからないけれど、私の将来のビジョンを彼女がそのまま引き継いでくれるのはうれしいことだなぁと素直のかんどうできるので、出来るだけ応援していこうと思っています。