無趣味な時代を脱却したい

英会話の教室にいって困ることのひとつが、毎回授業の始めに聞かれる週末やったことと趣味の話である。
毎回英会話のために、予定を作ったり、何かをやったりするのはしたくない。
しかし、つくり話をしたいわけでもない。

趣味をつくるというのは、なかなか難しい。
もともとなにかのきっかけで興味を持ったのであれば別であるが、そうでなければ今更感は否めない。
だが、無趣味はさびしい。
趣味を持つためには、まず、自分の興味があるものを探す必要があるが、それは簡単には見つからない。
だから、何かを見つけるというよりも、広くいろいろなものに興味を持つというのはどうだろう。
これ、なんだろうから調べてみたら以外に奥が深かったということもあるだろうし、簡単そうだからやってみたらはまってしまったということあるだろう。
何がなんでも、それを趣味にする必要はなく、幅広くやっているうちにだれかが突然、「へえそんな趣味があったんだ」という言葉をかけてくれるかもしれない。
自分でも知らないうちに無趣味から脱出できる。
それを趣味として自分が納得できるかは別としてではあるが。
無趣味から脱出できたら、次は、そこから幅を広げてみて、実際の趣味にしていけばよいのだと思う。
楽しみながらやれること、それが大切だと考えている。
趣味ができると行動範囲も広がり、仲間も増えるだろう。
そう考えるとなんとなく楽しくなってくる。

たくさんの趣味

私は「趣味が多い」ことを自覚している。
学校やサークルで自己紹介をするときに、「趣味は?」と聞かれると決まって「パソコンですかね…」と微妙にごまかして答える。
自己紹介で「趣味はないです。」と言っている人を見ると「嘘つけ!」と思ってしまうほどである。

私の趣味を列挙すると、「インターネット」「イラスト鑑賞」「イラスト作成」「音楽鑑賞」「音楽作成」「ゲーム」「ゲーム作成」「動画鑑賞」「動画作成」…と、あらゆる娯楽をちょっとずつかじっている状態である。
これらを全部まとめて「パソコン」と言い表しているのである。
例えば漫画を例に挙げると、「面白い漫画」を見ると「面白い!」と思うと同時に「私もこんな面白い漫画を描いてみたい」という考えに至ってしまうのだ。
私にでもできるんじゃないか、という考え方はおごりだが、好奇心旺盛なところはまあ、別にいいのではないかと思っている。
それが音楽にも動画にも、そしてゲームにも発展していき、パソコンだけではすべての趣味を管理しきれなくなってくる。
こんな風に自分の中でごちゃごちゃすると、ふいに読書をしたくなる。
長編小説を読んだり、短編小説を読み漁ったり…。
こうして趣味が新たな趣味を呼ぶのである。
趣味の多い人は、飽きっぽいという自論がある。
実際私もそうだからだ。
のめり込むときは奥深くまで首を突っ込むが、飽きるとさっぱり手をつけなくなる。
そして色々なものに首を突っ込んでは飽きるを繰り返し、最後には過去に飽きた趣味に戻ってくるのである。
傍から見れば「適当なやつだなあ」と思うだろうが、本人にとっては楽しいのである。